俳文学会は、連歌および俳文学(俳諧・雑俳・川柳・俳句等)の研究推進を主たる目的とする研究学術団体です(「俳文学会会則」の第2条(目的))。
「連歌」は共同文芸です。短歌の上句(五七五)と下句(七七)を別の人が作って合わせる万葉時代の試みから始まり、やがて長句(五七五)と短句(七七)を交互に連ねる百韻(百句の連歌)となって中世の社会に定着しました。連歌の中でもとりわけ滑稽なものを「俳諧連歌」と呼び、その略称である「俳諧」という呼び方で江戸時代に流行します。前句付・笠付・冠付など遊戯的な側面がより強い形態も発明され、それらは「雑俳」と総称されて、「川柳」もその中から派生しました。
連歌や俳諧の第一句は発句と称され、これだけを単独で詠むことも普及して、明治以後はこれが「俳句」の名で知られるようになり、多くの作者を輩出して現在に至ります。俳諧連歌は「連句」の称を得て現在に至っています。そのほか、俳味をもった絵画の「俳画」や俳味をもった文章の「俳文」もあります。本会の会員は、こうした諸文芸を主たる研究対象としています。
本会の前身とも言うべき俳諧研究会は、その機関誌である『連歌と俳諧』創刊号(昭和11年3月発行)掲載の「小規」に、「連歌と俳諧に関する諸研究の深化と統一を期し、関係論考の活発なる発表を促し、且研究科相互の和親を企図せんとす」と記される(第三号から「俳諧」が「俳諧(川柳を含む)」となる)ように、連歌・俳諧の総合的な研究をめざして結成され、第二巻第三冊(昭和12年8月発行)まで同誌7冊を発行しました。その後継的な団体として俳文学会が創設されたのは昭和25年(1950年)11月で、翌26年11月に機関誌である『連歌俳諧研究』の第一号が創刊されます。
以来、その趣旨を受け継ぎ、連歌と俳文学の研究を進めていこうと活動を続けています。主たる事業としては、年に2回の『連歌俳諧研究』誌の刊行(現在は3月と9月)、年に1度の全国大会の開催(10月ころ)があります。また、東京・大阪・京都で月例(休会の月もあります)の研究会も行われています。
万葉の昔から現代までを貫くものとしての、連歌および俳文学。その魅力を明らかにし、広く世に伝え残していくことが、本会のめざすところです。